赤水の制作した日本地図伊能忠敬の「伊能図」がつくられる四十二年前に緯度と日本版の経線(京都を標準にした等間隔の南北線) を記したかなり精巧な日本地図があった。 それが『日本輿地路程全図』(にほんよちろていぜんず)、世に云われた「赤水図」である。 この「赤水図」は大阪の出版社によって世に流布され、当時のベストセラーとなり旅人に愛用された。 これより四十二年の後、黒船が来航する江戸時代末期に幕命でつくらせた「伊能図」は国家機密とされ、 江戸時代には一般人は見ることが叶わなかった。 ゆえに、江戸時代中期から明治時代まで広く世に使われたのは「赤水図」だった。 幕末の志士吉田松陰も「赤水図」を携えて仙台まで旅し、長州(山口県)への岐路、茨城県高萩市赤浜にある 長久保赤水の墓に参詣している。 また、かの医学者シーボルトもヨーロッパに持ち出し紹介しており、現在もイギリスのケンブリッジ大学や ドイツの博物館など数か所に収められていることを東京大学大学院教授馬場章氏が近年発見している。 このページでは、「赤水図」の原図から第五版、そして「蝦夷図」をご紹介します。 ◆赤水図 原図◆明和5年(1768年)以前の赤水図(原図)胡粉修正の跡が見られる![]() ◆赤水図 初版◆![]() ◆赤水図 二版◆![]() ◆赤水図 三版◆![]() ◆赤水図 四版◆![]() ◆赤水図 五版◆![]() ◆赤水の蝦夷之図◆寛政初期作 北蝦夷(カラフト)、千島の図を含む。ここには既に情報により間宮海峡も描かれている。![]() |